植木さん亡くなった。




 
ご冥福をお祈りします。

お笑いスターって偉大だよね。。



今は、若手芸人は短命だが、昔の芸人は全然違う。

1時代、一世風味セピアする。



知らない人はいないし、多くの人がいろんな意味で励まされたはずだ。

本当に残念でならない!









「スーダラ節」が大ヒットし、「お呼びでない」などの流行語を生んだコメディアンで俳優の植木等(うえき・ひとし、本名同じ)さんが27日午前10時41分、都内の病院で呼吸不全のため死去した。80歳だった。葬儀・告別式は長男の廣司(ひろし)さんが喪主を務め、近親者のみで行う。後日、お別れの会などを開く予定。植木さんは1997年に肺気腫(しゅ)を患いながらも仕事を続けてきたが、今年1月に食欲不振を訴え、そのまま入院。2週間前から病状が悪化し、意識が混濁していた。



 軽妙な演技で高度経済成長期の大衆の心をつかみ、歌手としても活躍した植木さんが亡くなった。最期は登美子夫人と3人の娘にみとられながら、静かに息を引き取ったという。



 所属事務所の渡辺プロダクションによると、植木さんは97年にNHK朝の連続テレビ小説「甘辛しゃん」に出演していたころから、肺気腫を患っていた。それから10年。療養しながら仕事を続けてきたが、今年1月16日に食欲不振を訴え、そのまま入院。今月8日に一時帰宅したものの、翌9日に再入院した。2週間前から病状が悪化し、意識が混濁状態に陥った。



 1960年代、植木さんの運転手も務めていた小松政夫(65)は急変を聞き病院に駆け付けたが、間に合わなかった。「クレージーキャッツ」のメンバーだった谷啓(75)は入院中、何度も見舞いに訪れ、17日の面会が最後。桜井センリ(77)は12日、犬塚弘(78)は25日の面会が最後となった。自宅に戻った植木さんの遺体には谷、桜井が対面したが、2人ともショックで取材を受けられる状態ではなかったという。



 植木さんは昨年11月に登美子夫人、担当マネジャーとの話し合いの中で、「自分に何かあったら密葬にしてくれ、延命措置などを行うのもやめてくれ」と、遺言として残していたという。



 最近は、公の場に姿を見せる機会はほとんどなかった。昨年12月26日、「スーダラ節」などを作詞した青島幸男さん(享年74歳)の通夜に参列。鼻に肺気腫の影響とみられるチューブを通し、神妙な表情で手を合わせ、報道陣に無言で立ち去っていた。



 最後の仕事は昨年11月、石川・金沢でロケした東宝映画「舞妓Haaaan!!!」(水田伸生監督)。ワンシーンだけの出演で、立ち去るだけだが、台本にないアドリブや小唄も披露して一発で撮影を決め、最後まで衰えぬ“役者魂”を発揮していた。



 ◆肺気腫 酸素と二酸化炭素を交換する組織の肺胞と呼吸細気管支が拡張し破壊される状態。原因は不明だが、患者の8割が喫煙者であることから因果関係があるとされている。中年男性に多く発症している。病気が進むと肺全体が膨張して、心臓を圧迫することもあり、安静にしていても呼吸困難に陥る場合がある。



 ◆クレージーキャッツ 1955年にハナ肇を中心に7人で結成した
コミックバンド「キューバンキャッツ」がルーツ。当時は谷啓、植木等は参加していない。結成後すぐ駐留軍キャンプで歌っていた時に、洗面器で頭をたたくギャグが「ユー、クレージー!」とウケたことから「ハナ肇とクレージーキャッツ」に改称した。56年に谷が、57年に植木が参加。59年にフジテレビ系「おとなの漫画」でテレビ初レギュラー。61年にスタートした日テレ系「シャボン玉ホリデー」で人気が爆発。映画にも進出し大ヒットを連発した。71年の石橋エータロー退団後は個人での活動が増え事実上の解散状態だった。



 ◆植木 等(うえき・ひとし)1927年2月25日、三重県出身。1950年に東洋大文学部を卒業後、ジャズに傾倒しギタリストを志す。52年に「植木等とニュー・サウンズ」を結成。57年にハナ肇、谷啓らのいるクレージーキャッツに参加。「お呼びでない?」など歴史に残るギャグで一世を風び。「無責任男」をキャッチフレーズに数多くの映画に出演、歌でも「スーダラ節」「ドント節」をはじめ数多くをヒットさせ、高度経済成長時代の日本を代表するコメディアンとなる。86年には「新・喜びも悲しみも幾歳月」でキネマ旬報助演男優賞、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、毎日コンクール助演男優賞を受賞。93年に紫綬褒章、94年に勲四等旭日小綬章をそれぞれ受章。身長165センチ。長男は作曲家の比呂公一氏(本名・植木廣司)。




■追悼映像


Momoe Yamaguchi - Relay Medley + 追悼 「植木等」
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by loopscom | 2007-03-28 15:17 | 植木等